ブログでちょっと長い文章を書く人は自分の頭の中にあるものをどうやってまとめ上げてるんでしょうか?
私も小5くらいから高校を出るくらいまでは、ノートに日記を書いていました。
小6の時はそれとは別に、毎日大学ノート1ページぶん日記を書く宿題がありました。
ので、それなりにまとまった文章を書く習慣がかつてはあったはずですが、Twitterを8年もやってしまったからなのか何なのか、すっかり140字以内で考えてバラバラに投下する人類に進化してしまいました。
もう見ての通り入力欄を開いたとたん思ったことをそのまま書いた人になりました。
いきなりですけど、人はなぜブログとかで文章なんか書いて発信するんでしょうか?
私は「言葉の力」を信じていないです。
文章を公開する人は、何かを他人に伝えたいんでしょうか。
思考の整理のためということもよく聞きますが、書いてなるほど整理ができたと思い、そのままローカル保存でなく、折角だからとシェアしてしまうのはやっぱりどこかで人に見せたい気持ちが働いてしまうからと思います。
私にも働きます。
でも見せてどうなるのだろう?
言葉は、思いを他人に伝えるためのものですけど(たとえ説明文であっても「思い」に含めましょう)、思いそのものではないです。
世の中は文章に溢れてますが、自分以外の頭の中にあるものは、実際ひとつも見えていないです。ただ各々が「これだ」と思った、あるいは思えてすらいない「言葉」ちゅうモンを不用意に人に見せてるだけです。
誰にとってもこんな環境であるということをわかっていて、どうして自分もそうしようという気になれるでしょうか。
「言霊」という概念あります。言葉に宿るとされる霊力のことらしいです。
いい言葉を使うと、いい結果を呼ぶ。
逆に悪い言葉を使うと、悪い結果を呼ぶ。
みたいなことです。
言い得て妙だなと思いますけど、人間はこの霊力をぜんぜん制御できません。
そこら中に溢れているのに、まともに使えずに振り回されてるばかりのように思える。
「言葉の力」とか言ってるのは、どうかと思います。
思いを伝えるのとか、人を動かすのは、言葉がやってるわけではないですよ。
言葉じたいに力なんてないのだから、人間がお世話をしてやらなきゃなんにもならないです。
何かになることがあるのかというと、やはり「思い」そのものにはならないです。
できる限り近づけたいならば、技術を磨く、という選択があると思います。
それは人の力です。
ここまで書いて、私はやっぱり「思い」そのものにならないんだったら、別にいいや、と思ってしまうので
不用意にやる気のない文章を何となく書いて
折角だからとシェアしてしまうやる気のないやつです。
(「思い」に近づけたい!そして伝えたい!・・という志があったら、もっと頑張って、評論文みたいな文章書こうとしてたと思います。でも、それって挑戦にあたりますからね。努力は嫌いです)
でも、なぜか「伝わった」と思った人が寄ってきて何か解ってるような会話をしあうのは楽しいことです。
そういう事を期待してシェアしてしまっていきたいです。
その程度のブログになったらいいですね。
ピカト