やっぱり私は自己投影は悪びれながらしていきたいと思う。
GOTYめっちゃとった話題のゲームでも緻密な人間描写がプレイヤーの実体験とオーバーラップし、さまざまな人々の救いになった。それは素晴らしいことだ。
抜粋、雑翻訳
彼はサバイバーであり、トラウマを経験しています。そして、コミュニティの非常に多くの人々が私に個人的に連絡を取り、私たちの登場人物たちと共有してきた物語について話してくれました。 彼らはゲーム内の多くのストーリーやキャラクターに共感し、ゲームのストーリー自体が本当に彼らに届いていると感じています。そして、私のところに来て、自分のトラウマに対処する勇気をもらったと言う人もいます。 私自身もサバイバーとして、彼らがこのゲームについて話すとき、「ゲームを通してキャラクターに見られていて、理解されていると感じている」という意味が理解できます。それは、ラリアン、スウェン、執筆チームがこの驚くべき美しい傑作を作り上げた証拠です。
いい話です。
だけどもこれって悪い言い方すると、ファンが公式声優に自分の自己投影ストーリーを個人的に言いにくるって事だ。
だいいち、感想文や批評文をネット記事として載せることにだって功罪がある。
ちょっと怖い事をしてるという自覚はあって初めて「功」が効いてくる。
実際のところ声優のライブ配信では距離感おかしいファンのセクハラコメとかも普通に問題になっていてどこに行ってもファンってどっこいどっこいだと感じる。
少なくとも日本より気持ちのよいコミュニティがあるとかはマジで無い。
みんな他人の目や中傷を気にせず好きを貫いているだけだ。そこは変わらない。
思うに欧米の個人主義というのはもともと自他が癒着しすぎる性格を引き剥がすために強くなったんじゃないだろうか。
そして、日本や韓国はもともとの気質が他人を拒絶するものだから、自然に任せることで非婚化が進みまくっている。
仮説です。
我々の同調は「圧力」という形でないと存在できないという仮説。
たまに海外在住の人が「アメリカは実は同調圧力強い」というような事を言うけど、日本のそれとは性質が違うんじゃないかと思っている。