書いてなにになりますか

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働いてるのに超てんのゲームやる奴

 

ハッショでクビになったりテキショで休職したりしているやつがなぜか健から見て甘美な生活をしているように見える問題、あると思う。しばしば病気への軽視として問題視されるけどマジであの吸い寄せられる魔力みたいなものはなんなのだろうと思う。私も色んなTwitter人のツイートを見て「その生活エモいな……」と何度も思っては我に返って飲み込んでいる。飲み込んでいるのになぜかうっかり社不ツイに共感の意を示して怒られが発生したりしている。甘えである。

仮説だがああいう生活は正しく「薬」でモルヒネのようなものなのだろうと思う。だから医学的に鎮痛の必要がなくても近寄ってくる脳癖の悪い人間がいる。

 

全然話は変わるが、インターネット的でない知人の話をしてしまう

なんか他所で交流のある人に関してこういうことを言うのも品のない話なんだが、女子校育ちのおっとりした清楚系のオタクで変質者にもあいやすくほんのりツイフェミ的なミサンドリー思想で薄染めされている、みたいな人が今野球にハマってて若い野球選手を「かわいい〜」って言ってるの見て無駄に徒労感に苛まれている。別に野球界に対して世話をやくほどの関心度があるわけではないが諸々の何か見た経験から野球選手が可愛い訳ないやろというツッコミだけはある
勿論悪習があるならばそれに対する批判精神は彼女の中にもあり、その上で偏見を持たない善い人というだけなのである。ただ、この私も結構信頼とまではいかなくても「安全な人間」として信用してもらえてるようで、憂鬱になる。こんな事ばかりである。ともかくも私は同性に対して心では力と自立と自己防衛を強く求めながら自分は彼女らに「配慮」をして生きるという矛盾を抱えている。当たり前のことではあるのだが。結局のところ自分の力で変えられるのは他人ではなく自分だけですから。

しかし思うに、暴力がおおらかに許される社会ほど人間は瞳がキラキラしており、笑顔は純粋でまぶしい。それはよく分かる。何でやろうね。