Twitterは日本の災害インフラか…。
わいの災害時のTwitterの記憶って嘘の救助依頼がバズって緊急回線を圧迫し、まだ津波来てんのに「復興祈願」とか言ってアニメキャラの笑顔の落書きが大量に投下されるアホすぎるプラットフォームでしかなく今も順調に悪化しながら変わらないイメージなんだが、マジで言ってるやついるんだろうか
しかしながら、SNSのフォロー関係が「切れたら切れたでいい」って開き直ってる私はつくづく「発信するオタク」としてダメだなと反省してしまった
一般人(オタ用語でない)の一オタクだって個人サイトやブログやってるようなタイプは「読者のみなさんに語りかける役」としての意識と仕草が確立されていて、今後の活動についてアナウンスしたり普通にするわけじゃないですか
なんか、そういう習慣がつかないから地に足のついたオタ活ができなかったのかもなぁっと思って。
そういう「オタクとしてどうなの」的な自意識を成仏させるためにブログを始めてみた側面もあったかもです。
訪問者様に対する信頼も愛着もないせいで「管理人」がやれない。管理人って言い方も懐かしいな。このニュアンス通じるんだろうか。
そういや昔は呟きすぎると規制がかかるので多くのツイ廃が「規制垢」を持ってた。懐かしいな。
私は規制されたことないけどあれいつから起こらなくなったんだろう。当時はそんな程度で文句言う奴いなかったというか、むしろ「規制されるほどネットやってるイカれた俺ら」でみんなイキっていたのである意味平和ではあった
今となってはこういう所でもユーザー層の多様化を感じる。
てか、「Misskeyはキモオタばっかりだから嫌だ」とか「拡散性があって棲み分けされてない所がいい」とか、わりと古参面しながら黎明期のツイ廃なら言いそうにない多様なご意見が乱立しているので
そんな時点で陰キャの快適な遊び場というのは幻想だし「現実を見るべき場所」でしかない。まあそれは生きていく上で必要なことだけど…
「みんなが居るTwitterがいい」か知らんけどTwitterは「みんな」が居るせいで詐欺のゴールドラッシュになったんやから、人間が多くなるかぎりどこに行ってもダメだろ。
逆に「みんな」がいなくなった後のTwitterが一番マシまであるんではないか。
ないか。
某小説、私の好きな声優が主演濃厚なのでアニメ化してほしいが作者がデマ屋なのだけ何とかならんか。
なろう作家のこの軒並み素直に推せない感じ
美容系の垢が顔整ってる人間に対して使う「顔整い」っていう通称(?)
中世ファンタジーの翻訳みたいでおもろい
今日もそんな日常です